世界にはこんなにも古くから残っている遺跡があります

バベルの塔の伝説が残る街

イラクには「バビロン」という古代都市があります。
かの有名なマンガである「バビル2世」は、旧約聖書に登場する巨大なバベルの塔は、宇宙船の故障により地球に流された宇宙人バベルが、星の仲間に信号を送るために人間たちに建設させた、という話でした。
日本では聖書の内容を知っている人が少なかったため、このマンガで「バベルの塔」の存在を知った、という人も多かったと思います。
と同時に、この謎の塔の存在にワクワクした少年少女もいたことでしょう。

バベルの塔の伝説はこうです。
大きな街と天まで届くほどの高い塔を作ろうとした人々は、共通の言語を用いて技術を発達させていました。
彼らは石の代わりにレンガを作り、漆喰の代わりにアスファルトを用いてどんどん塔を完成させていきます。
「私たちは神に近づいた」と自惚れている人間たちは、神の逆鱗に触れます。

神は、人間が一つの民族であり、同じ言語を話していることがこのことの始まり。
それであれば、人間たちが互いに言葉を理解できないように言語をばらばらにし、各地に人を散らそうと考えたのです。
私たちが今、各民族で使用する言語が異なるのは、このことが由来している、という伝説ですね。

バビロンは、現在は砂漠地帯ですが、チグリス・ユーフラテス文明が栄えたころは、とても豊かな土地でした。
初めは小さな都市国家であった「バビロン」のハムラビ王子は、その後、ユーフラテス川の主要な都市や、アッシリアを占領。
メソポタミアを統一し、この地一帯は「バビロニア」とよばれました。

大きな国家を統治するためには、共通したルールが必要と考えられて作られたのが、かの「ハムラビ法典」なのです。

元々は平原だったバビロンは、その後幾度かの洪水により街は流され、豊かだった土地は砂漠になってしまいました。
そして住む人もいなくなり、砂に埋もれた都市は、今もまだその多くが発掘されずに眠ったままということです。

山の上に広がる天空の都市マチュピチュ

その神秘的な雰囲気から、いつかはこの地を訪れてみたいと思わせる「空中都市マチュピチュ」。
アンデス・ウルバンバ渓谷の山の上にあるこの都市は、山の麓からは見えないため、一説にはインカの人々がスペイン人から逃れるためにここに街を作った、ともいわれていますが、その謎は解明されていません。

この地は決して便利とは言い難く、利用する価値もないと思われていたため、スペイン人には見向きもされず、いつしか忘れられた都市となりました。

アメリカの探検家が、インカ時代の道路を辿っていた際、この遺跡を見つけることができました。
彼が書いた「失われたインカの都市」という書籍はベストセラーとなり、この書籍に書かれた「マチュピチュは太陽を崇める神官が、処女を生贄として捧げる儀式をしていた」という説が有名です。
しかし、最近の研究では、神殿の目的は天体観測や暦を読むことであり、生贄を捧げるとされていた台も、太陽の観測のために作られたものであるということがわかりました。
また、インカ人はこの地からさらに熱帯の平地へ移動しており、マチュピチュはこの時代にはすでに遺棄された街だったようです。
彼の書籍には誤りも多かったというわけですね。

とはいえ、マチュピチュはその優れた建築技術が見どころです。
この山の上まで、どうやって大きな石を運び、積み上げたのか。
その石はどこから切り出したのかは謎のままです。
小さな都市ながらに考えられた造りで、斜面には段々畑が広がり、高度があるため夏でも涼しく、皇帝の避暑地としても使われていたのでは、ともいわれている場所です。
マチュピチュへは麓の駅から3時間ほど歩けばたどり着くことができます。
もちろん山登りですからそれなりに大変ですが、それだけの労力をかけてでも見ておきたい遺跡ですね。

エブラ王国の遺跡

シリア南部にあるエブラ遺跡は、エジプトとメソポタミアの中間に位置する古代都市国家です。
古文書において「エブラ王国」という記載があるものの、その王国がどこにあるのかはわかっていませんでした。
1964年にイタリアの調査チームがエブラの王の名が書かれた象を発見したことにより、この場所にエブラ王国があったということがわかりました。
紀元前2500年~2000年ごろに栄えていたということがわかり、世紀の大発見といわれるほどでした。
なぜなら、この時代はエジプトで三大ピラミッドが造られ、メソポタミアではシュメール人が国家を作り上げた時代です。
古代文明はこの二つが最大勢力だと思われていた中、それに匹敵するぐらいの規模のエブラ王国が発見されたので、今までの歴史を書き換えなければならないほどだったからです。
それぐらい大きな遺跡なので、発掘調査は現代に渡って引き続き行われています。
全てが解明されるには、およそ50年ほどかかるとのこと。
気の遠くなる話ですね。

エブラ王国の中心にあるテル・マルディフ遺跡の王宮文書庫には、数多くの粘土版が遺されていました。
文書庫が火災に見舞われたせいなのか、粘土板は焼けており、そのおかげで良い状態で保存されています。
その粘土板に書かれた内容を解読すると、王国の成り立ちがわかってきました。
紀元前3500年頃から発達し、2900年頃には都市国家が設立、その後アッカドに支配され、アッカド衰退後は再び王国が再建されます。
そして、紀元前1600年には、ヒッタイトに侵略されて滅亡しました。
一方、当時の輸出品である「レバノン杉」の乱伐採により土地が砂漠化、これが国の衰退の原因の一つではともいわれているようです。
現代人としては、何かの教訓のような気がしてなりませんね。

家族愛を感じる古代遺跡チャタル・ヒュユク

トルコ共和国にあるチャタル・ヒュユクという集落は、1958年に発見、1965年にかけて発掘調査が行われた遺跡です。
新石器時代のこの遺跡にあった住居は、とても不思議な構造をしていました。
なんと、この街には「道がない」のです。

遺跡の調査は、年代ごとの地層を少しずつ剥がしながら行われました。
発掘が進むにつれ、その住居の特徴が明らかになっていきました。

集落は数千年の間、5千人~8千人ほどの人が暮らしていたといわれており、その住居は隙間なく密集していました。
そこには通路や窓はありません。
とはいえ、生活していたのですから外に出ることも必要です。

彼らは、はしごを使って屋根にある天井の穴から出入りしていたと考えられています。
隣の家に行くのも、屋根を渡って行ったようです。
なぜ屋根から出入りしていたかははっきりしていないのですが、外を歩く猛獣や外敵から身を守るためではないか、といわれています。
屋根にある出入り口はまた、煙突替わりにも役立っていたようです。

室内は工夫がこらされており、寝台と思われる基壇は、表面に漆喰が塗り重ねられています。
こまめに手入れをする習慣があったんですね。

また、チャタル・ヒュユクの人々は、亡くなった人を村の中で埋葬していました。
暖炉や寝台の下から使者の骨が発掘されています。
大人から子どもまで大小さまざまな骨が見つかっており、死者が出ると床に掘った穴に埋葬し、漆喰で固め、また誰かが亡くなると漆喰を剥がしてその上に埋められています。
同じ部屋に埋められた遺骨を調べると血縁関係にあったことがわかり、一説によれば、亡くなった人への愛情や尊敬の念から、身近な場所に埋められたのではと推測されています。

どの時代においても、家族や先祖を敬う気持ちは変わらない、ということなんでしょうね。

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